2008年7月から2年間、カリフォルニア大学バークレー校 公共政策大学院に留学しています。まとまりのないひとりごとです。


by knj79

ビルマの友人

初めてビルマ人と知り合ったのは7年前だ。
アメリカの大学で同じクラスをとった。
かの国の大学は、ビルマや北朝鮮といった、政府レベルでは
閉じた国から留学生を受け入れることが多いということだった。
生活費や授業料も全額どこかの財団もちで、政治学を学んで
いた。

彼は88年に大学生だったらしいから、当時は30歳過ぎだった。
同じアジア人ということもあって仲良くなり、大学周辺の中華料理屋や、
キャンパスの芝生で、よく話した。
僕が、「ミャンマーでは」といいかけると、「ミャンマーという呼び方は
やめてほしい。それは軍部のクーデターで決められたもので、
ビルマ国民は認めていない」と彼に訂正された。

彼から聞く話は、遠い世界のことのようだった。
この話は、彼から聞いた話で、事実確認はしていないが、そのまま書く。

彼は88年当時、大学生だった。当時のビルマでは民主化運動が
大学を中心に活発化していたそうだ。彼もその中で中心的な役割を
果たしていた。

そして、軍の弾圧が始まった。彼はデモの首謀者として、新政府に逮捕
された。刑務所では拷問が待っていた。
服役後、彼はタイ国境でのゲリラ戦に従事する。ジャングルでの戦闘に
向けた特殊訓練を受け、ゲリラ戦を戦った。しかし、反政府軍が勝利する
ことはなかった。
なんとか生き延びた彼は、インドに亡命する。そこで引き続き特殊訓練を
受け、英語を学ぶ。だからだろう。彼の英語は非常に流暢だった。
そして、アメリカの財団に推薦され、アメリカにわたる。

亡命後、そして今まで彼は彼の家族とは会っていない。手紙すら出すことが
できない。家族のことを彼は非常に気にしていた。亡命した自分のせいで、
家族が拷問にあっていないか。

軍のクーデターの後、彼の大学を含め、ビルマの大学はすべて閉鎖されたそうだ。
大学は政府の反体勢力を育てる危険な場所だからということで。
いつの時点で解除されたのかはわからないが、ビルマ出張で、ヤンゴン大学の
先生にそのことを聞くと、今は大学が復活しているらしい。

彼は、ビルマの民主化を達成するのが夢だと言っていた。民主化されたときには、
政治家として、日本のような、平等で、平和で、豊かな国を作るのだと。
ビルマの現状は、彼のその言葉を思い出させ、苦い思いにさせられる。
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by knj79 | 2007-09-30 09:58 | その他