2008年7月から2年間、カリフォルニア大学バークレー校 公共政策大学院に留学しています。まとまりのないひとりごとです。


by knj79

言葉と思考

エッセイはまず日本語で書きましょう的なエントリを以前書きましたが、それに関係して、言葉と思考の関係について、気づいたことを書いておきたいと思います。

思考に対する言語の機能は以下の2つに分類できると思っています。

① 「伝えたいこと」(思考の結果)をアウトプットする機能

② 抽象的な思考のプロセスをサポートする機能

で、自分にとっては、①は英語でもあるていどいけるけれど、②は英語では(今のところ、あるいはこれからずっと)できないな、というのが結論です。

どういうことかと申しますと、、、

①はこの間のエントリでも書いたように、まだ言語化されていないけれど自分にとっては明らかな「伝えたいこと」を言葉にして他者に伝えようとする機能です。

「伝えたいこと」がはっきりしている場合には、僕は

「伝えたいこと」 → 「英語」

でも(単語さえわかれば)あるていどいけるような気がしています。
昔、英語を本格的に勉強しようと決めた時に、

「伝えたいこと」 → 「日本語」 → 「英語」

というプロセスは経ないようにしようと考えて訓練してきたからです。


しかし、②がやっかい。よく、思考は言語に規定されるといわれますが、言葉は抽象的な思考、論理的な思考をサポートする力強い機能があって、逆にいうと、言葉の助けなしには、われわれは抽象的思考、論理的思考ができないのではないかと思うのです。

言葉の重要な機能に、「概念の固定化」と「論理の構築」があると思います。概念をひとつの(物理的な)もののように扱うことができるのは、ひとつの言葉がその概念をあらわしていることにして(固定化)いるおかげです。そして、複数の概念をもののようにくるくる組み替えながら、頭の中では高速に論理を組み立てていっているのだと思います。

そして、母国語では、膨大な抽象的概念のボキャブラリーが蓄積されている上に、その概念を論理的に組み立てるスピードが圧倒的に(実感として、たぶん英語の1000倍とかそれくらい)早いんだと思います。

はい。まとめると、

(結論)
・ 言いたいことが自分で分かっている、固まっている場合、いきなり英語で話す。
・ 自分でもどう組み立てていいか、結論は何かわかりかねている場合、日本語の助けを借りてそれらを明らかにした上で、英語でアウトプット(話す、書くなど)する。
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by knj79 | 2008-10-12 03:20 | 英語