2008年7月から2年間、カリフォルニア大学バークレー校 公共政策大学院に留学しています。まとまりのないひとりごとです。


by knj79

専門家の説明責任

根本的にアメリカと日本で違うなあと思った話。そして、日本の致命的な欠陥かなと思った話。

大学院の授業(特に経済学関係)で、口をすっぱくして言われるのが、「○○(たとえば経済学・ファイナンス)の知識が全くない政治家、メディアに向けて、彼らにわかる言葉で説明し、納得させ、彼らを動かせ」ということ。

必ずと言っていいほど、どの授業でも言われます。

つまり、専門家が政策を考えたら、政策をcommunicate, persuadeできるかどうかの責任は、聞き手ではなく、話し手、書き手の専門家側にあるということですね。

僕はこのことに全面的に賛成で、知識が爆発的に増えている現代における専門家の最も重要な責務の一つだと思っています。

東大の小宮山先生(総長)が昔からよく言っている「知識の構造化」という概念はおそらく同じ問題意識から発しています。その問題意識とは、「20世紀以降知識が爆発的に増えて、一人ひとりの人間が処理できる総量をはるかに超えている。各人は問題解決のためにディシプリンの中で知識を深堀せざるをえず(これはドラッカーさんも同じことを言っています)、一人の専門家がその他の分野の詳細を理解することは現実的に不可能。他方、環境問題など人類が直面する問題は異なる分野の知識(理学、工学、法学、経済学、社会学etc)を必要とする。そのため、それぞれの専門家が自分の分野について、知識を持たない他の専門家にわかるように説明し、異分野の専門家同士が協働することが絶対的に必要になってくる。」ということだと思います。

そして、専門家がこのきわめて重要な責務について認識していないことが(あるいは認識していても十分にできていないことが)、日本が分野横断的な問題に対して大きなビジョンを描けない理由の一つだと思います。要は、自分の分野以外の専門家と協働するのを妨げているんじゃないかと。そして、グリーンニューディールや気候変動みたいな経済、社会、環境を横断する総合的な問題に関する日本の戦略を考える上で、この欠点は致命的なのではないかと不安になります。

政治家やジャーナリストが経済学や科学技術の初歩を知らない、確かに情報の送り手としては「もっと勉強してほしい」と思うかもしれない。でも、彼らには彼らの分野があって、それを彼らに理解してもらえていないことの責任は、経済学や政策や科学技術の専門家の側が伝えられていないことに帰すると考えるべきなんじゃないだろうか。フラストレーションがたまるとしても、です。

最近読んだ日本語で書かれた文章で、「わからないやつが悪い。こんなことも知らないのか」という論調が多いので、「それってちょっと違うんじゃないの?」と思って思わずつれづれと書いてしまいました。

この「伝える」ということに関しては、やっぱりアメリカはたいしたもんです。
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by knj79 | 2009-01-29 17:50 | 公共政策大学院(GSPP)