2008年7月から2年間、カリフォルニア大学バークレー校 公共政策大学院に留学しています。まとまりのないひとりごとです。


by knj79

不確実性にどう対処するかが環境政策の本質の一つ

最近、いろいろな授業で気候変動やエネルギー資源に関する論文・本を読み漁っている。できるだけひとつの論に偏ることなく、ま逆の立場の論文も読んでいる。

そうすると、「どっちがほんとなんだー!」と脳が疲れてくるんだけど、むしろこれは当たり前のことなのだと気を納めて考える。

環境政策が複雑になるひとつの理由は、科学と政治の接点であるから。意思決定には、科学者の提供する「科学的な情報」に頼らざるをえない。それと同時に、政治(社会の意思の総体)としての実施可能性を常に頭に置かないといけない。

それらが拮抗する場所に、環境政策は、いる。

この前のエントリにも書いたとおり、すべての科学は、その定義からして(by definition)常に仮説である。特に、実験系でない科学や新しい科学の場合には、その仮説が検証されて科学者コミュニティーの意見が完全な一致に至ることが難しい。そう、気候変動やピークオイルのこと。

つまり、常に不確実性が付きまとう。こうすればいい、という方向性は一意には決まらない。今読んでいる石油の埋蔵量に関するテーマの論文は、当該分野の最先端を行くGeologist同士でも意見が全く異なることが多い。

だから、環境政策を作る時には、その不確実性を、最善の方法で扱わないといけない。一番ありがちなのは、不確実性を逆手にとり、政治的な実現性から逆算して政策を決めること。そこに実は科学は存在しない。水俣病の悲劇を忘れちゃいけない。

科学を最大限活用しつつ、不確実性を扱うこと。そのために必要なのは、科学者の協力であり、政策コミュニティの科学に関する理解であり、経済学やファイナンス、意思決定科学等の不確実性に対処する知的な蓄積なのかなと思う。
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Commented by baya at 2009-02-18 06:29 x
まったくもって同感です。ひとつだけ付言をするならば、我々の眼前に横たわる、その大きな「不確実性」を、安易な価値判断で穴埋めしてはいけないということ。
すごく頭の切れる人たちが「環境問題はどうも…(肌に合わない、胡散臭いetc.)」と言う場面にたびたび遭遇してきましたが、想像するに、彼らが「どうも…」と思ってしまう理由の一つには、(僕自身含め)環境派と言われる人たちが、しばしば科学を突き詰めることを途中でサボり、安直に、価値観依存型の説明(=環境を大事にしない人たちは「悪い」人たちだ、みたいな)に走ってしまうことにあるのではないかと思っています。「圧倒的な不確実性の存在」という特異点を除けば、景気や、雇用や、教育などといった、他の「普通」の社会問題と本質的な違いはないのだということをいったんちゃんと認識した上で、その上で、しっかりと「不確実性」を見つめ、その扱い方を考える、そういった姿勢が重要だと思っています。
Commented by knj79 at 2009-02-19 14:30
環境って、きれいごと&うさんくさいといわれる理由はひとつその辺にありますよね。クラスの真面目な学級委員に正論を言われて、「でもそれってほんとにそうかよ」と反論したくなるような。結局、自分の理屈で納得しないと人は動かないわけで、その解の一つが、科学なりビジネスの言葉で客観的に環境を語ることなのかなと思っています。
by knj79 | 2009-02-17 04:46 | 環境政策 | Trackback | Comments(2)