村上春樹 1Q84 ①
2009年 06月 28日
昨年、村上春樹さんがバークレーにやってきたときに30ドルもするチケットが2千枚あっという間に売り切れ、そのほとんどを占めるアメリカ人が彼の言葉を熱心に聞いていた時、サンフランシスコのサイン会でサンフランシスカンが寒空の下長蛇の列を作っていた時、アマゾンの数百に上る書評を読んだとき、そしてアメリカ人の友人が彼の小説の素晴らしさを熱心に語る時、一人の日本人が文化も歴史も全く違うアメリカ人の心を深くふるわせている事実に衝撃を受けた。自分は確かに彼の小説が好きで、繰り返し繰り返し読んだけど、それはあくまで自分の個人的な嗜好だと思っていた。なのに、いつもはあんなに日本人との違いを感じるアメリカ人が、同じ作品を読んで共感していることに驚かないわけにはいかなかった。
アメリカ人は表現の天才だと思う。自分の考えを言葉にして人に伝えることに関しては、日本人は足元にも及ばない。それはもちろん彼らが先天的に表現に長じているわけではない。自分を表現することを幼少のころから要求され、答えてきたからだ。日本人が、集団の空気を読むことを幼少のころから要求され、答えてきたのと同じように。そして、彼らの語る村上春樹評は、熱心でカラフルで大胆だ。かなわないなと思う。
今日も、グーグルに勤める友人が村上春樹の小説と、特にノルウェイの森について、村上春樹のことを知らないアメリカ人やドイツ人、チリ人に向かってこんな風に熱弁をふるっていた。
村上の小説は、魔術的(magical)でレトリックに満ちている。超常現象も多用される。だから雰囲気としてはラテンアメリカの物語に似ているかもしれない(彼はエクアドル系)。そこに、日本のモダンなテイストが加わっていて、彼独特の世界が広がる。
僕は長時間のフライトの時には必ず村上の本を持っていく。読み始めたらノンストップで到着前に読み終えてしまう。そして次の作品が読みたくなる。この数年で自分が見つけた作家ではベストだ。こんな小説は誰も書けない。
僕のベストはノルウェイの森だ。ビートルズのあの曲だよ。ビートルズの曲が物語に直接関係するわけじゃない。でも読み終わった時にはっと気づくんだよ。この物語全体があの曲のレトリックになっているんだって。彼の小説は物語全体が大きなレトリックになってるんだ。本当にAmazingだよ。
熱心に聞き入っていた友人たちも、「それは読まないと」と口々に言う。ノルウェイの森がビートルズの曲の比喩?それがどこまで的を得た批評なのか、僕にはわからない。でも、自分の言葉で感じたことを表現する、しかも臆せず。すごい。
親友の聡君が、サンフランシスコで手に入れられない僕を案じて日本から1Q84を送ってくれた。感謝感謝である。久しぶりに日本語をじっくり読んで、思うこともあった。
州都サクラメントの州議会の議事堂。サクラメントの強烈な日差しを反射し、青空に映える建物だった。