長期的視点と短期的対応
2009年 06月 29日
前職でお世話になった経済学者の先生との議論の中で出てきた一言。先生は環境の分野で40年近く活躍されてきた大御所といってよい方で、だからこその現実を見つめた言葉だった。もちろん環境対策をしなくてよいということではなく、この厳然たる事実を前提としたうえで、環境政策を考えなければいけない、ということを熱心に説いておられた。
毎週購読しているEconomist誌の6月20日号で、日本政府のエルピーダ・JAL救済のことが記事になっていた。日本はこれまでイノベーションと品質の高さによって知られていたが、今ではゾンビ企業の救済を行うことで有名になっている、という論調だ。
完全競争市場で市場が効率的に機能する理由は、非効率な経営をしている企業は、効率的な経営をしている企業にとって代わられるためだ。それによって効率的な企業が財やサービスを生産し、家計と企業の利益(厚生)は最大化される。Economist誌の編集委員は、日本政府はその大原則に反して何をやっているのだと批判している。
他方で、国会や政府の雇用対策担当者としては、失業率が上昇する中でそれを看過することは考えられない。だからなんとか眼前の危機を回避するために企業救済に取り組む。アメリカでも、ヨーロッパでも、そしてもちろん日本でも、製造業が救済される。
このように、短期的な対応策と、長期的な解決策は、往々にして相反する。短期的には合理的な最適行動を続けることによって、長期的に袋小路に迷い込むことは多い。GMやクライスラーも、短期的には利幅が圧倒的に大きいSUVを作り続けることは合理的だった。市場がそれを求めていたから。いわゆるゆでガエルでたとえられる状況だ。
民主主義のプロセスでは、短期的な対応の方が、長期的な解決策よりも大きな支持を得、勝つことがほとんどだ。民主主義では、様々なアクターがそれぞれのリソースを使って意思決定にかかわることを認められている。政治力を有するアクターが、現状維持を可能にする短期的対応を目指してその力を行使することにより、大きな構造変化を求める長期的解決策を退ける。
だから、気候変動、再生可能エネルギーを含む環境対策が選ばれるためには、短期的な痛み(=企業及び家計に与えるコスト)を超えて、長期的な利益を生み出すことを明確に、わかりやすく示し、長期的な果実を手にする企業、家計を味方につけることが不可欠だ。そして、冒頭の先生の言葉のとおり、短期的な痛みはなくなることはないにせよ、社会全体としては最小化できるような制度設計をする必要がある。