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2008年7月から2年間、カリフォルニア大学バークレー校 公共政策大学院に留学しています。まとまりのないひとりごとです。


by knj79

欲望とインセンティブ

先日のエントリに、かずさんからいただいたコメントに触発されて。

アメリカの授業(特に政治学の授業)や、アメリカの日常会話でとても印象的なのが、人間の欲望に基づく行動原理を「インセンティブ」という言葉である種肯定し、その上で戦略を立てようとすることです。

この考え方自体は、自分の世の中の見方ととてもよく一致していて、見ていてすっきりするところでもあります(個人的には欲望はコントロールできるけど、社会全体を設計するときには倫理に頼ってはいけないのではないか、とか)。アメリカの思想はPragmatismだといわれますが、現実的に人間はこういうものなのだから、良し悪しは別として(あるいは積極的に肯定し)それを前提としてインセンティブを与えて全体を動かそうということなんだと思います。

たとえば、政治学の授業では、「政治家は再選を求めるものである。国家のビジョンや効率性は行動原理の説明変数ではなく、彼らの再選を支える地元企業、組合、選挙民の利害をくみ取る装置である」という前提で、ではどのように働きかけるべきかを考えます(政治学の授業についてはいろいろ思うこともあるので、追って書きたいと思います)。
日本では、「利益誘導型政治」という言葉は悪いイメージがありますが(そしてアメリカもそうなんだと思いますが)、少なくとも政治学の授業では、それは事実としてある行動原理=欲望なのだから、それを前提としてインセンティブを与えて全体を動かしていく方法を考えるわけですね。
(そのためか、政治家はこうあるべき!というような話にならない。「政治家っていうのはこういうものだ」という論じ方をする)

日本でももちろん同じ考えは持って制度設計をすると思うのですが、欲望とか行動原理(たとえば「人間は自動車にのって自由を追求したいものだ」「便利な生活をしたいものだ」「お金を稼ぎたいものだ」など)に対して、「ほんとにそうか?」「そんなことでいいのか?」という疑念とか後ろめたさがあるように思うのです。
アメリカは、ほとんどの人にそういった後ろめたさが弱い(ない?)のではないか?というのが、現時点での仮説であります。

やや話がずれますが、アメリカほどではないかもしれませんが、ヨーロッパも同様の考え方をするんだろうな、と思った経験があります。環境教育のシンポジウムに出席すると、日本では「ライフスタイルはこうあるべき」というような、倫理に関する話が大きいのですが、アジア以外の会議(ヨーロッパ、アフリカ等)では、「人間は怠惰なんだから(!)、インセンティブを与えてライフスタイルを変えていくような仕掛けを作ろう」という話になるのです。なんというか、雰囲気も、前提も、全然違うのです。環境教育の会議なのにすごいなあ、と思った記憶があります。

ということで、欲望をエンジンとして、それにインセンティブを与えて社会を動かしていくのがアメリカの一面ではないだろうかと思ったのであります。
by knj79 | 2008-10-09 15:57 | 環境政策